苦難の連続パキスタン旅行記1回目 プロローグ 〜運命(きっかけ)は突然に〜

渡航のきっかけはひょんなことから訪れた。

時は2024年11月中旬。

シーシャをこよなく愛するワイ氏、大阪なんばにある行きつけのシーシャ屋でその夜も徒然なるままにぷかぷかシーシャをふかしいてた。

今日も朝から労働を大変よく頑張ってとても疲れた。

嫌なことは明日の自分に押し付けよう。

そんな現実逃避をしながらしばらくボーっとしながらシーシャを楽しんでいた。

労働をした後に酒ではなくシーシャをしばく。

これがここ1,2年のルーティンとなっていた。

あゝ愉悦なり。

ふかし始めて30分ほど経った時、無機質なエレベーター音と共に建物の入り口のエレベーターが開く音がした。

開いたドアから現るは、友達になってから4年来の付き合いになる外人ニキ、彼の名前をTとする。

Tとは同じシーシャ屋で初めて出会って、初対面で店に置いてあったダーツを通じてアホほど盛り上がって仲良くなったのだ。

それから時たま会うたびにシーシャを相席で仲良くふかす仲となり、そんなこんなを繰り返しているうちにさらに距離が縮まっていくことになる。

ゲイではない。

Tはパキスタン人で、初めてできたパキスタン人の友達だ。

ところで日本人ニキネキは、昨今パキスタン人が日本国内でやらかしまくってるニュースを見て、パキスタン人への印象がかなり悪くなっているんじゃなかろうか。

正直それまではワイもそうだった。

ところがどっこい、Tはそんな険悪なイメージをブチ壊すようなスーパーポジティブナイスガイなのである。

英語はペラッペラ、日本語も普通にしゃべれて(!) パキスタンの第一言語のウルドゥ語も当然話せる

(本人いわくウルドゥ語は親や兄弟からは下手くそと言われてるらしい。生まれたのがドバイなので英語が第一言語とのこと。ウルドゥ語は小学校くらいでパキスタンに移住してから学んだらしい)

日本には2018年ごろから来ていて、車の貿易関係の仕事をしている。

特に通訳として非常に重宝されているとのこと。

さらにサッカーやブラジリアン柔術など様々なスポーツで常に心身共に鍛えており、

登山・バンジージャンプ・スノボ・ダイビングなどやってないことに片っ端からチャレンジする超向上心の塊でもある。

その上、T自身敬虔なムスリムであり、酒は当然飲まず、毎日5回のサラーン(礼拝)やクルアーン(経典)をガチガチに守るお手本のようなイケメンなムスリムなのだ。

歳はワイの1個上で1993年生まれ。

同い年くらいなのにどうしてそんなに向上心が強いんだよ。

これが俗にいう”アッラーの思し召し”というやつなのか。

正直そんな自分の壁や目標をどんどん超えていく同世代のTを見ていて羨ましくもあった。

それと同時に

こいつは普段何を考えて生きてるのか?

根底にどんな信念があってそんなに生き急ぐのか?

シンプルに気になった。

もし彼の国教である「イスラム教」が関係しているのだとすれば、そんな向上心を人に持たせるイスラム教のクルアーンってどんだけすげえんだよ。

いつかこの謎を知りたい。

知った先に何かがある気がした。

Tと接しているうちに、そんな欲望は日に日に少しずつ増大していったのであった。

閑話休題、エレベーターからこちらに向かってきたT。

「ハイ元気?」

「おーおー!元気やで久しぶりやな!」

お互い声がけをして生存を讃えあう。

しかし、Tの様子がいつもとは違う。

やたら歩くスピードが遅いのだ。

よくよく見てみるとびっこを引いている。

これに触れられずにいられないワイ。

どしたん、話聞こうか?モードが発動する。

話聞いてると、どうやらサッカーで膝を負傷したらしい。

医者で診てもらったら前十字靭帯を損傷する大怪我とのこと。

それ大事やないか。

でも杖をついてないのはなんでや。

Tいわく、「まだ歩けるからダイジョブ」とのこと。

いや頼むから手術してちゃんと治してくれよ。

ほんまにオオゴトやから。

そんなワイの心配を察したのかTは

「これから国に帰って手術受けるよ」

そう続けた。

え、そういえばアンタの国、確かパキスタンだったよね?

そんな高度な医療あるんかいな(←失礼)

と思ってたが、これがあるらしいのだ。

しかも日本の半額ほどで同クオリティ程度の手術が受けられる上に、家族も住んでいるから実家でサポートを受けながら療養ができるとのことだった。

なるほど確かに日本でTは一人暮らしだし、術後は足が動かせない上に移動も車椅子とかだから大変だよなぁ。

そう思ってたからその点はひと安心。

「それははやく帰った方がええでなぁ。で、いつ帰るん?」

「12月入ったらすぐ帰る」

「日本にはいつ帰ってくるんや?」

「たぶん3月以降くらいかな」

「けっこう長いなぁ、しばらく会えないのは残念や」

とりとめのない雑談が続く。

そしてその【きっかけ】は訪れる。

「そういえばワイ氏、パキスタン行きたいって言ってなかった?僕がパキスタンに帰ってる間にパキスタンの実家に遊びにおいでよ」

思いもよらない提案だった。

確かに2年ほど前にTとシーシャをふかしてた時に、いつか行ってみたいって冗談で呟いた記憶が朧げながら蘇ってきた。

「…そういえばそんなこと言ってたなぁ。でもパキスタンって日本では結構危ないって言われるけど大丈夫?」

「全然ダイジョブダイジョブ、危なくないよ」

ほんまかいな。

外務省海外安全ホームページ徘徊大好きニキのワイ、おもむろにスマホのロックを解除し、パキスタンの渡航情報をチェック。

危険度レベルは全土で2(不要不急の渡航中止)〜4(退避勧告)

なにそれこわい。

安全地帯のレベル0とちょっとマシなレベル1のエリアはドコ?

実はワイ氏、大学生の時くらいからちょくちょく東南アジアの大体の国と他数ヵ国を周っていたので、他の人よりは少しだけ旅慣れはしている自負はあった。

ただ西南アジア・南アジア地域は初めてで、自分にとっては完全に未知の領域。

しかもこの危険情報の高さ。

しかもしかもイスラム教圏。

こんなん途中で攫われて首掻っ切られるとか建物ごとドカーンとかホンマ勘弁やで、、、

そんな今までにないほどの不安と「いや逆にここで行かなかったらいついくねん」という好奇心が脳内で合戦を繰り広げていた。

少し考えた結果、好奇心陣営の勝利。

Tに「ほんならTが帰ってるときにパキスタン行くわ」と口を滑らせてしまった。

Tは「ほんまに!?」とイケメンフェイスを輝かせながら嬉しそうにはにかんだ。

なんで関西弁やねん。

「ちな、Tの実家はどこにあるんや?」

「ラホール(パキスタン第2(諸説で第3)の都市)やで」

とのことだった。

あれ、ラホール…??

何か聞いたことがある名前やな…

ググったら、かの有名なムガル帝国の首都やったところやんけ(歓喜)

そん時のクソデカ建造物らしきものがいっぱいあるらしいで…?

うおおお、これシンプルにめっちゃ行きたいわ。

…ということでTとパキスタンに行くという約束を、気さくな挨拶ばりにしてしまったのである。

Tがシーシャ屋から退店した後

なんでこんな重大な決断を軽率にしてしまったのか、、、

怒涛の後悔が押し寄せてきた。

冷静に考えてなんでデモとかテロとかつい最近もやってたところに行かないといけないんだ、、、

さすがADHDワイ、お家芸の「衝動性」が早速悪い方向に出よりましたよ。

だがここで行かなければ漢が廃るのも事実。

なんとか自分の中の漢の、ちっぽけな勇気に発破をかけながら帰路についたのであった。

〜準備編へ続く〜

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